元営林署職員山崎巳達さんに遠山森林鉄道の想い出を語っていただきました。(平成14年2月発行の遠山郷情報誌・アンバマイカ第7号、「みんなのひろば」より抜粋)
私は昭和19年4月に御料林飯田出張所梨元事業所に15歳で就職した者です。仕事は機関車助手でした。
戦時下で、身体も知能も未熟でしたので、社会に出て上司、先輩に育てられました。
当時は内燃機関車といいガソリンを燃料としていました。機関車と別に発生炉のついた台車を牽引してガスを発生させパイプを通して冷却し、エンジンに使うような構造でした。
しかし、戦時下でガソリンがなく、代燃として木炭を焚いて走りました。そのためエンジンが詰まり故障が続きました。
朝5時頃、運転手の来る前に発生炉に木炭を詰め、水補給をし、点検するまでの準備をしました。これをしておかないと出発までに2時間もかかります。
木材を積むために空の台車を5〜6両牽引して7時に出発します。時速5〜10キロでガタコトとこんな坂、なんの坂と運転して進みます。
北又渡という停車場で木炭を補給するために俵炭2俵を積みます。発生炉の蓋を開けるときに、ガスが爆発したり、ガス(一酸化炭素)を吸って気絶して転落したりということもありました。
炭の粉が顔について真っ黒、鼻に吸って肺も真っ黒、今日の労働条件のよい時代には考えられない事です。
勤務していた梨元には思い出が一杯です。地域の皆さんご無沙汰していますがいろいろお世話になりました。
元営林署職員山崎巳達さん(高森町在住)
平成14年4月、山崎さんが発起人になって当時の関係者が遠山森林鉄道を語り合う「思い出の会」が開かれました。なつかしい人たちが一同に会し、森林鉄道にまつわる思い出話に花が咲きました。