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現在も残る庚申講

 かつては、南信濃村のあちこちで行われていた庚申講も、 多くの地区では昭和初めころまでに途絶えてしまいました。
 そうしたなかで、下和田では現在でも庚申講が行われています。 情報誌『アンバマイカ』4号(2001年5月)に掲載のレポートから、 かいつまんでご紹介しましょう。

 午前10時。小さなお堂には、8人ほどの近所の主婦の皆さんが集まり、賑やかなお喋りが始まっていました。
 お堂の奥には不思議な石像が並んでいます。左右に赤い太陽と青い月を掲げ、胸元で印を結んでこちらを睨みすえています。皆さんに訊いてみました。

▼庚申様って、どんな神様なんですか?
 
「庚申様の本当の名前は猿田彦っていうんだって。庚申様には手が八つもあるので、何でもいろんな願いをかなえてくれる。昔の子供は色々用事を言いつけられると『庚申様じゃあるまいし、そんなにいっぺんにできんわ!』なんて言ったなあ」
▼どんなご利益があるんですか?
 
「何でもかなえてくれるけど、何か失くした時に庚申様にお願いすると、きっと見つかるんな。私も失くしものをした時にお参りしたら、ちゃんと出てきたに。でも普段からちゃんとお参りしてないと、神様も願いを聞いてくれんの」
▼庚申様のお祭りはいつからやってるんですか?
 
「そういうことは分からんなあ。昔は庚申様の掛け軸ってのがあって、それをかけてお祭りしたの。当番の家がみんなからお米を集めてな、昼は大人たちが集まって飲み食いして、夜は子供たちが集まって、跳んだ行っちゃ遊んだもんな」
▼このお団子、おいしいですね?
 
「これは庚申団子って言って、お庚申様のお祭りに必ず作るんだに。庚申様にお供えするのは丸いものがいいって昔から言うんな。昔ながらの庚申団子は白いんだけど、今日はちょっと工夫してゴマ黄な粉を混ぜてみたの。口に合うかなあ」
 お祭りと言っても、めいめいが庚申様に灯明をあげてお参りした後は、もっぱら世間話に花が咲きます。
  「今じゃ近所でも顔をあわせることが少ないけど、こういう機会があるとお互いのコミュニケーションになって楽しみ。これが毎日となると当番が大変だけど、庚申様の日はふた月にいっぺんだから、ちょうどいいんな」
 普段は一時間ほどで終わる祭りですが、今日は余所者がお邪魔したせいでお開きになったのはお昼近くでした。

庚申様は「ふれあい」の神

 先のページで見たとおり、庚申信仰には、道教、仏教、神道、日本古来の民間信仰など、様々な要素が重なっていてとても複雑です。
  そして同じ南信濃村の中でさえ、集落が違えば庚申様の腕の数が異なり、講で唱える文句も異なり、そのご利益も様々でした。
 けれど、人々がご馳走を食べながら楽しくお喋りするという点では、今も昔も変わりなかったようです。
 遠山谷の人たちにとって、庚申様は疫病除けの神様であり、農業の神様であり、失せ物探しの神様であると同時に、なにより村の人たちの「ふれあい」の神様だったのではないでしょうか。

●参考文献
病魔の傷あと 百体庚申」 1985 さわみつる (『南信濃村公民館報 やまなみ』41号)
『高齢者の語り 第一輯 ふるさとへの伝言』 1983 南信濃村教育委員会
『高齢者の語り 第二輯 ふるさとへの伝言』 1984 同上
『高齢者の語り 第四輯 ふるさとへの伝言』 1988 同上
『遠山物語』(筑摩学芸文庫) 1995 後藤総一郎 筑摩書房