国道418号沿いにある信玄滝は、遠山谷随一の名瀑です。道を挟んだ向かい側には、遠山氏が和田に城を築く前に居城としていた長山城址があります。遠山氏はときおりこの滝を訪れ、身を清めていたといわれています。
伝説によれば、武田信玄が遠州攻めのために秋葉街道を進軍した際、この滝に立ち寄って喉を潤しました。そのとき突然滝壺の水が静まり、鏡のようになりました。滝壺をのぞきこむと自分の顔が水に浮かび、そのことに感銘をうけた信玄は早速家来に命じて不動明王を建立させたといいます。
本当に武田信玄はこの滝に立ち寄ったのでしょうか。伝説に対してそんな問いをするのは野暮というものですが、少し考えてみましょう。
信玄が遠山谷を通ったのは元亀三年(1572)。当時、三万人とも四万人ともいわれる武田軍は、美濃攻略に向かう秋山信友隊、伊那から三河に向かう山県昌景隊、そして秋葉街道を遠州に攻め込む本隊の三手に分かれて進軍しました。
信玄率いる本隊は、大島城(現松川町)を出て小川路峠(上村と飯田市との境)を越えたと考えられているので、軍列が小川路峠から和田を抜け直接青崩峠に向かったとすれば、信玄滝はそのルートから外れてしまい、信玄がこの滝に立ち寄った可能性は低くなってしまいます。当時、遠山谷を治めていたのは初代和田城主遠山景広ですから、そのころすでに和田城が完成していれば、信玄は和田城に立ち寄って峠越えの疲れを癒したと想像するのが自然です。
一方、その頃まだ和田城が完成しておらず、景広がまだ長山城にいたとするならば、信玄は青崩峠越えに先立ち、長山城に入って信玄滝を眺めたことも十分考えられます。つまり信玄滝の伝説は、あながち荒唐無稽なものとはいえないのです。
信玄が建立したという不動明王は、享保三年(1718)の遠山地震によって流出してしまいましたが、後に修験者によって現在の不動明王が建立されました。
この滝不動は滝の上段に祀られてわかりにくいのですが、これを自分で探しあてて祈願すれば、御利益が授かると言われています。

小釜
小釜不動尊
金七の滝
岩肌を流れる清水